打ち首、はりつけ、獄門覚悟で時の将軍に直訴したのは?

その人は瀬谷市衛門という私の母方の先祖。福島県は山奥の農村に生まれ庄屋を継いでいた。

時代は江戸初期、村民は重い年貢に苦しみ「もう少し軽くしてほしい」と、領主に訴え続けたが聞き入れられず、「この上は将軍様に直訴するしかない」と市衛門は、打ち首、はりつけ、獄門覚悟で江戸に上った。

さほど待つ間もなく日本橋近くで、家来に無礼者と抜刀されながらも駕籠の将軍に訴状を手渡す事ができた。幸運にも市衛門にはお咎めもなく訴えは聞き届けられ年貢は軽減された。だが、その地を治めていた代官は切腹を命じられたという。

市衛門は許されたが「御法度」(幕府が発した禁制など)を犯したことに変わりないと、自ら庄屋を辞し、隣村に蟄居した。

市衛門の死後、二か村の農民たちは命を賭けて村を救ってくれた市衛門その人の恩に報いるため「両所神社」を建立、年に一度その霊に感謝する例祭を今もって続けている。

境内は村の人々でぎっしり埋まり、投げ餅、投げ銭も賑やかに行われる。村内の子どもらが獅子頭をかぶりお社の前で笛や太鼓に合わせて踊るのが愛らしい。

もし母が生きていたら、目を輝かせ頬を赤く染めて歌い踊る子らの歓喜の中にいたであろう。胸が熱くなる。

この頃しきりに母を思う。心配ばかりかけて我儘いっぱいに生きた私は、近頃うれしいにつけ淋しいにつけ、母の笑顔が瞼に浮かぶ。

郷土史を研究している市衛門の子孫から、「諦めていた市衛門の碑が見つかった」と、嬉しい知らせが届いた。私の頭の中に髭の老人の御姿が浮かぶ。「ひょっとして市衛門様?」「そうだよ」と微笑んでいる。打ち首覚悟で直訴した人とは思えぬ優しさに溢れていた。

私が同じ時代に生きていたら「一緒に連れてって」としがみついただろう。頭に浮かぶ故郷の思いにしばし私はボーっとしていた。

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